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写真をただ流しておく

2012年の熊本城 宇土櫓の続き

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解説として展示されていた壁と屋根の構造模型。基本的には土蔵と類似する工法。屋根も漆喰塗りで固めた上に瓦葺。よく見ると丸瓦は漆喰で目地を固めてある。2016年の震災の際には被災した熊本城の瓦が落ちた様子についてあれこれ議論が発生していたが、少なくとも宇土櫓では瓦は漆喰で固められていたらしい。

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窓から見えた部分だけだが、確かに宇土櫓の瓦は漆喰で固めてある。揺れても落ちないというわけでもないが、どちらかといえば目地を埋めて耐水性や耐火性を高めようという目的だろう。

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苔むしているが漆喰が瓦の目地に盛り上がっている。耐火性能重視の土蔵の仲間としては何でも塗固めるのが正しいはず。そして土蔵の仲間は地震には弱い。

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窓から外を見たついでに、大天守の裏側がよく見える。

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整備か発掘調査か。

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宇土櫓内に展示されていた宇土櫓の模型。

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櫓と石垣に囲まれた内部の関係がよくわかる。

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宇土櫓入口近くに階段が設けられており。

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石垣の高さから下の郭へ移動できるようになっている。階段の下にちらっと見えるとおり、オリジナルの石段が左右向かい合わせに設けられているが傾斜がきつい。当時の人はやはり階段の傾斜についてはあまり気にしていないようだ。

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入口になっていた角櫓を石垣の下から見上げる位置へ移動して、ここから二の丸広場へ向かったらしい。石垣の途中ににゅっと飛び出しているのは排水樋か。

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二の丸広場から振り返った天守閣と宇土櫓。絵葉書を参考に歩き回った。監物櫓が一番の目的だったが場所が離れており、時間の制限から断念。あとは西大手門周辺や熊本大神宮近くで少し写真を撮っている。

2016年4月現在、熊本城と旧細川刑部邸は休園中。再開と復興を祈るほかない。

2012年の熊本城 宇土櫓

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画像データによれば午後3時ごろ。それでも光は夕方に近い。

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内部は板の間。

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上階への正しいルート。階段の傾斜は急で出入口も狭い秘密基地規格。犬山城天守彦根城天守松江城天守など現存する近世の建物の階段はだいたい急で秘密基地規格。当時の人は気にしていなかったらしい。

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いざという時に石を投げたとされる狭間。

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側面にも狭間が設けられた場所。いざという時はここで石を抱えてぽいぽい石を投げるお仕事が発生するのか。

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櫓だけあってなかなか豪快な梁がむき出し。天井は貼っていないので見えている天井は上階の床。

 

内部が暗いので解説は読めるか読めないかの画像ばかりで省略。柱間寸法の解説によれば1間は6尺5寸とのこと。宇土櫓より古い建物は1間6尺の例もあったらしい。1間6尺5寸は御殿の規格とされることもあるので、宇土櫓が建設されたときはもう戦時の櫓時代は過ぎていて優雅な建築だったのかもしれない。

2012年の熊本城 すばらしい石垣の世界

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顔出しコレクション。宮本武蔵加藤清正か。またしても天守閣と記念撮影にうってつけな位置に。手軽にうまい写真を撮りたいときは顔出しパネルを探すとよい。

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控え石垣的な石垣。折り重なる稜線が美しい。

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石の階段。イタリアの街角は石畳でオシャレだと力説されたことを思い出す。それに引き換え日本の都市は、と続くわけだが。どうだ、美しいじゃないか。

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石積みの美しい都市。

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石垣ときっちり合わせて建てられた櫓門。どうだいこの美しい世界。

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石垣と石畳。

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日本の都市に美観がないだとか、そういうことはとりあえず近世の城を見てから言っていただきたいものだ。

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もちろんイタリアへ行った事はない。

2012年の熊本城 天守閣内の展示

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先に表御殿の内部を出してしまった。天守閣内へ戻ろう。鯱。

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熊本城下の絵図と模型。絵図はこう、これはイタリアだと思い込んでみるとイタリアの中世都市に見えてくる。

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昭和35年に復元された際に製作されたという10分の1模型。小天守側。解説も写し込んでいるが何しろ暗いしフラッシュ禁止なのでぼけぼけでよく読めない。

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10分の1模型の全体。

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天守の千鳥破風を激写。

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天守閣の上段の間付近の模型。

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天守閣の構造解説。

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表御殿の解説。

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天守から見下ろした表御殿、のはず。何を撮ったのか、ほとんど覚えていないな。

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出口はいわゆる穴蔵、石垣の内部を通って出入りする構造です。小天守へ向かうのを忘れてこのまま出口へ。また今度来ればいいやと軽く考えていました。

 

2012年の熊本城 表御殿内部

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発掘された囲炉裏の石を図面と対応する位置に復元した囲炉裏。

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という説明が書かれた案内板。

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こちらは竃(かまど)について。竃は図面と発掘の状況が異なったとのこと。

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発掘調査に基づいて復元された竃。ここで御馳走が調理されたらしい。

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復元された御馳走。

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御馳走の説明。

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バックヤードに相当する台所から離れると公式の応接空間となる座敷が続く広縁へ出るようになっていました。実際は台所を経由せずに広縁へ案内される計画のはず。

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廊下。新築ですからピカピカしています。右側の箱状の部分は室内側では床(とこ)です。

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茶室も設けられていたとのことで数寄屋として紹介されています。漫画『へうげもの』の世界です。築城に関わった加藤清正が前面に挙げられて趣味の良さが強調されますが、さきほどの御馳走は江戸期の細川氏。細かいことは後まわしで。

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表御殿を一巡したら闇り通路へ戻りまして、ふたたび本丸へ。

御馳走は明応年間の大内氏の記録がよく知られており本膳料理に関連するとされるようです。山口県の湯前温泉では当時の砂糖・醤油・味醂を使わない味付けで再現された内容が提供されています。酢や、味噌から作られた塩味の味付けで現代の和食とはまた違った美味しさ。加藤清正の時代の御馳走であればこちらのほうが近いかもしれない。